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蒼穹の昴



<宦官とは>

 『蒼穹の昴』というのは浅田次郎の長編小説で、以前から知人に薦められており、興味もあるのだが、なかなか読む機会がない。この小説の主人公は貧しさから自ら宦官となり、西太后に仕えるのだが、今回は予習を兼ねて宦官というものについて書いてみたいと思う。
 宦官というのはいうまでもなく、宮廷に仕える去勢された人々のことをいう。宦官というと中国の印象が強いが、オリエント諸国(古代エジプト、ペルシアなど)や古代ギリシア、ローマ帝国、東ローマ帝国、そしてイスラム諸国(特にオスマン帝国)…とかなりの広範囲でこの風習があった。去勢技術が家畜のために生まれたので、牧畜文化のアル国でのみ広まったという説もある(ちなみに朝鮮までは広まったが日本には広まらなかった)。宦官には刑罰(宮刑・腐刑)で去勢されるだけではなく、『蒼穹の昴』の主人公のように栄達のために自ら望んで宦官となる者(自宮)もいた。また去勢と一口に言っても、中国では全てを切断するが、トルコでは睾丸のみを切除する。次にその去勢の方法について、中国の例を紹介しよう。

<去勢手術>

 まず執刀するのは刀子匠と呼ばれる一種の外科医である。手術料は前払いが基本だが、貧しくて払えない場合は宦官となってからでもよかった。手術に当たるのは二人である。まず患者を両足を大きく開いた状態で手術台にしっかりと縛り付ける。それから切断する部分を熱い胡椒湯でよく洗浄する。これで準備は完了、後は鎌状の刃物で一息に切り落とすのである。当然麻酔などあるはずもなく、漢方医学には消毒という概念もないので、それも行われなかった。漢方医学が発達していたために死ぬ者はほとんどいなかったとする人もいるが、それは漢方に対する幻想、あるいは過大評価というべきで、実際には記録に残っていないだけではないだろうか。少なくとも他の地域では手術した者の約七割が死んでしまったという。運良く死ななかったとしても、想像を絶する苦痛だったであろう(あまり想像したくないが…)。
 さて手術後である。患者は尿道を針状の白蝋で塞がれ、それから患部は冷水につけた紙で包まれる。そして患者は両脇をそれぞれに支えられながら、二〜三時間の間、部屋の中をグルグルと歩き回る(痛みを紛らわすためなのか?)。それが終わると今度は三日の間寝たままの状態で放置される。その間に痛みで気が狂わなければ、三日後に紙がはがされる。そして溜まっていた尿がものすごい勢いで出れば、無事手術が成功した証左である。一年間の見習い期間を経て、宮廷デビューとなる。

<時に人材を生み、時に国を滅ぼす>

 本来、皇帝や王の身辺やその後宮で働くのが宦官の役目であったが、中にはその才を認められ政治や軍事に功績を残した人物もいるが、逆に宦官によって国が混乱したり時には滅亡のきっかけをつくることもあった。
 中国の例でいうと、前者の代表としては司馬遷や鄭和が挙げられる。司馬遷は言うまでもなく『史記』の著者であるが、彼は宮刑によって宦官となった。彼にとっては死刑を逃れるためとはいえ、かなりの屈辱ったようだが、その精魂を『史記』の著述に注ぎ込んだ。鄭和は明の時代の人で、宦官でありながら武将として活躍した。南海へ七度の大航海をしたことで知られ、これは欧州の大航海時代に先んじること七十年ほどであった。
 後者の方で有名なのは趙高である。彼は戦国時代の末期から秦の時代の人で、何らかの罪(母親のともいう)に連座して宦官となったとも、自らなったともいう。始皇帝に仕え優秀であったことから末子の胡亥につけられる。始皇帝が急死するとその遺言を書き換え、太子の扶蘇を自害に追い込み、胡亥を即位させる。胡亥を傀儡として権勢を極めたが、最終的には一族諸共殺された。なお「馬鹿」という言葉の由来は、趙高が鹿を指差し「これは馬だ」といい、官吏が「鹿だ」と答えると即座に処刑したからだという。自分の言いならない者は容赦なく処罰したといいことだろう。

<その他の地方の宦官>

 他の地方でも宦官の役割は、だいたいが宮廷での雑用や後宮に仕えることであった。変わったところではローマ帝国末期には、高級官僚の世襲を防ぐ目的で、宦官が用いられることが多かったという。そのため中国と同じようなこともあったようだ。また厳格なキリスト教徒(一部の分派・異端)の中には、自らの欲望を絶つために去勢を行うことがあった。大帝国であったトルコでは、宦官は黒人である、ハレムを統括する役割を任されていた。トルコは常時戦時体制で、スルタンが首都にいないことの方が多かったくらいなので、時には三百人以上もいたという女たちの中には欲求不満になる者もおり、宦官との関係を持ってしまう女もいた。先に述べたように、トルコの宦官は全切除であったために、性交自体は可能な者もいたからである。もちろん見つかれば即死刑である。それ故にハレムの女たちは同性愛が普及した。男同士の同性愛が非難されなかったために、これは容認されていた。ともかくトルコにおける宦官は政治的権力とは結びつかなかったようだ。
 さて、ここまで書いてきて、予習になったのかどうか、非常に疑問なのだが、それはいずれ『蒼穹の昴』を読んでからの話としよう。


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